2020年7月20日月曜日

人と人の間は一方通行じゃない

例えば、
誰かに悩みを相談して
その人が優しく寄り添ってくれて
結果、
自分の中の答えを見付ける事が出来て
悩みが解決し人生が良い方向に歩き出す

その人は救われたと思うだろう

そして、もう一方で
相談された方も救われている

人は誰かの役に立ちたい生き物だ
困っている役の人がいなければ
助ける役も生まれない

人は、救われたと同時に
誰かを救っているのだ

人と人の間は一方通行じゃない

救われたと思うのなら、同じ様に救っているし
怒られたのなら、相手も痛いし
愛が冷めたと感じるなら、自分の愛も冷めているのだ


写真も一緒で
奇麗な写真とか
可愛い写真とか
ドラマチックなものとか
いろいろ言い方はあるけど

いい写真を撮ってくれてありがとう
そう思っている反対側で
いい写真を撮らせてくれてありがとう
いつもそう思っている

人と人の間は一方通行じゃない


2020年7月17日金曜日

『サミー物語3』

最初に、
僕は産まれた時に左目のほとんどの視力を失くした。
そんな僕がカメラマンになるまでの物語。



僕の高校卒業を脅かしていたのは「日本史」だった。
僕はこの歴史というやつが苦手だった。
「どうして合ってるか間違ってるか分からないものを暗記しなくちゃいけないの?」の問いに答えを見つけられないまま3年が過ぎようとしていた。

つまりもうすぐ卒業だ。

最後の期末テストで赤点を取り(末広がりなラッキーナンバーだったから、いまだに点数を覚えている。8点だ。笑)
そして運悪く、追試の日は見たかったテレビ番組と重なったのだ。
仕方がないので、テレビを優先した。

....


期末テストの日本史で8点を取り、追試をすっぽかした僕が無事に卒業できたのはまさに奇跡だった。
まぁ、僕なりにちょっとした保険はかけてたのだ。

キーワードは【留学】だ。

僕の通った高校は長野の田舎で、33年前はそれこそ外国人が珍しい時代だった。
そんな環境なものだから「留学」と言うワードは「異世界召喚」と同じくらいレアで衝撃的なワードだった。

担任からの「進路はどうするんだ?」の質問に、僕は必殺!の呪文を唱える。
「カナダに留学します」
サミーは【留学】を使った!テレテレテレ〜ン♬の効果音が頭にこだまする。

おそらく創立始まって以来の「留学」だったのではないだろうか。知らんが。
兎にも角にも、そんな訳で僕は無事卒業出来たのだった。

ちなみに英語は日本史に次ぐ不得意な教科だったので、友人からは留学なんて自殺行為だと笑われた。
なので出発までの間、とりあえず公民館で英語を習う事にした。
毎週火曜日19時~20時、主婦に混じって楽しい英語クラブの時間だった。

が、そこで英語力がついたとはどうしても思えない


つづく



2020年7月15日水曜日

カメラマンの見分け方

僕が望む世界とは?


答えに悩んだ。
なんだろう?望む世界...

写真の良し悪しが分かる人が増える事かなぁ
でもそれだと変な写真が無くならないしなぁ
って事は、世界が素晴らしい写真で溢れる事か!

僕が望む世界とは『素晴らしい写真で溢れている世界』

では、
素晴らしい写真とは何か?

一言で言えば『伝わる写真』
僕にとって写真とはコミュニケーションの一つであり、誰かに思いを伝える手段なのだ。
言葉や音楽と似ている。

人に伝わる写真とはなんだろう?
人を撮ると言う事に限定して考えてみる。
独りよがりでない事。(独り言をつぶやいても誰にも伝わらない)
意図を持って撮る事。(伝えたいものを明確にする)
心の中の本質を撮る事。(浅い表面を取り繕ってもすぐにバレてしまう)
その写真を見た人が何かを受け取ってくれる事。


写真には点数をつける基準がないから、どうしても良し悪しがあやふやになってしまう。
そこが難しいところなのだ。

そもそも世の中には「いい写真とは何か?」が浸透していない。
誰も写真の良し悪しなどは考えていない。
多くのプロが何も考えずにシャッターを切っているのも、ある意味仕方ない事なのかもしれない。



ここで質問です。
この世界には二人のカメラマンがいます。

カメラマンA
写真を一つの物体として見て、表面だけを止まったまま撮っている。
(こんな写真撮れる俺ってすごいだろ!)と、カメラマンが主役になってしまっている。
被写体に仮面を被らせて撮っていて、マネキンでもいい写真になっている。
身構えて鎧を着て撮っている。身構えて鎧を着た被写体しか撮れない。
能力だけで撮っている。

カメラマンB
どのハッピーにピントを合わせてどんな写真にするかを感じて撮っている。
写真を通して誰に何を伝えたいのかを明確に撮っている。
被写体を主役にして撮っている。
本当に伝えたいものを撮っている。
ハートでシャッターを切っている。

あなたは、どちらのカメラマンに撮られたいですか?


『ここで少しカメラマンの頭の中を解説してみよう』
僕の場合、撮影依頼が来たら、
お客さんにヒアリングしてイメージもしくはストーリーを膨らませる。
本人を素敵に撮る事は当たり前で、その先をイメージする。
この写真を誰に見て欲しいのか?見た人にどう思ってもらいたいのか?
先の先を見ながらクライアントの未来を描く。
動きの流れの中で思い込みを取り除きながら、(僕はその人の何を撮りたいのか?)ゴールを見据えて、自然体に、アイデンティティーレベルで写真を撮る。

なんのこっちゃ  笑。って普通の人はなると思う。
僕が写真を撮る時、僕の頭の中はこんな感じに動いているのだ。


例えば、夕日で写真を撮りたいとお客さんが言う。
夕日は綺麗なので、誰を撮っても絵になる。(これは環境の力を借りて撮っている)
夕日の色と光を利用して人物を引き立たせる。(これは能力で撮っている)
なぜ夕日じゃなければならないのかを考えて撮っている。(これは価値観で撮っている)
夕日じゃなくてもいい写真を撮る。(これはアイデンティティーレベルで写真を撮っている)


重要なのはストーリー。
ストーリーとは、心を動かすもの。

お客さんが写真を通して伝えるべきものがあるとすれば、それは、愛だと思う。
愛とは、自分の中をさらけ出してみせる事。
カメラマンから被写体への愛、被写体から誰かに向けての愛。
心を動かすものはいつだって『愛』なのだ。




「笑って~」
と言うのは撮影シーンでよく聞く言葉だ。
「笑って~」とはどう言う事なのだろうか?
言っているカメラマン本人でさえ気付いていない深層心理に迫ってみる。
想像するにこの時のカメラマンの頭の中はこうだ
(ん~、なんかうまく撮れないなぁ...なんか緊張した被写体だな、こんなんじゃ全然いい写真にならないよ!俺様の評判が下がったらどうするのさ !? クレームになったらやだなぁ、せめて笑ってよ!!!)
「はい、笑って~」

多くの女性は経験があるのではないだろうか。
成人式の写真を撮った時の何とも言えない心情と封印したくなった写真と。

否定されながら撮られて自然体になれる人などいないと言う事だ。


写真を撮るときは、全てを肯定してシャッターを切るのだ。
肯定された瞬間の写真は本人も好きになるだろう。


いい写真を撮られるために。
いずれ、写真を撮られる時が来たら自分にこう問いかけてみて欲しい。

『何を撮りたいのだろう?洋服?髪型?アクセサリー?それとも自分自身?自分が写る上で何が一番重要だろう?』

そして、カメラマンにはこう問いかけてみて欲しい。
『どんな私を撮ってくれますか?』

そこで言葉に詰まってしまうカメラマンは表面を取り繕う事に一生懸命で、まだ本質に辿り着けないレベルと言う訳だ。






写真を撮ると言う事は、言葉にすると
実はとても簡単な事なのだ。

髪型や洋服ではなく 僕は、あなた自身に興味があるんです。
そのままのあなたがそこにいればいいのです。

未来に出版されるかも知れない『私のカメラマン』より抜粋


2020年7月12日日曜日

得意技

得意とはどう言う事だろうか?

例えば運転が得意だと言う人がいる。

それは、何をもって得意だと言えるのか?
早く走らせる事が出来るのか?
事故を起こさない自信があるのか?
交通ルールを全て把握してるのか?
コップの水をこぼさずに峠を下りる事が出来るのか?

一言で運転が得意と言っても、色んな解釈がある。

僕は写真が得意だが、
では、写真の何が得意なんだろうか?
と、考えてみた。

カメラの機械部分に詳しいのか?
レンズの銘柄を熟知しているのか?
ライティングのスペシャリストや、フォトショップの達人か?

どれもピンとこない。
僕は考えた。

  僕が他のどのカメラマンよりも優れている点 


・・・・・!

分かる事!

自分が撮った写真、他人が撮った写真を問わず、
何がいい写真で、何がダメな写真かが分かる事。

ファインダーを覗く前から絵が見えている事。

イメージする能力と、
絶対写真感。(絶対音感みたいだ)

僕はそれに特化している。


主観ではなく、客観的に、
独りよがりな思い込みではなく、平均的な感性で、
何が良く、何がダメかが分かる事。

『分かる』というのが僕の得意技だ。


何があなたの魅力かが分かる事だ。



2020年7月11日土曜日

生誕

ある日、あなたは
世界最大のレースに参加することになりました
競争者は4000万人以上です

その中で勝利するのはたった一人
勝てる確率は、0.0000025%


チャンスは0と言ってもいいでしょう
負ける理由しか見つかりません
誰だってそのようなレースに加わることは
狂気の沙汰だと思ったでしょう


それでも、あなたは参加しました
そして、勝つだろうと考えていたのです
あなたが勝利するとは
誰もが思っていなかったかもしれません
けれども、あなたは
世界最高の意地っ張りでしたし
決意も並大抵ではありませんでした


”あきらめる”という単語は、 
あなたの遺伝的辞書には、なかったのです


なぜなら、そのレースに負けたら
史上最高の賞を
取り逃がすことになったからです


どんな賞だと思いますか?
「生」です


誕生日おめでとう

さて、そんな素晴らしい賞を取ったあなたが 
一体何におびえると言うのです

あまりにも当たり前で
忘れがちな真実
まるで空気の様な
そんな幸運が
僕たちの周りには
渦巻いているのです





2020年7月9日木曜日

『弓矢物語』 サミー物語 番外編

最初に、
僕は産まれた時は純粋無垢な子供だった。
そんな僕がたこ糸とカッターで弓矢を作れるようになる物語。


僕の父親は発明家だった。
売れたものもあれば、売れなかったものもある。浮き沈みの激しい生活だった事を覚えている。
そんな仕事だったものだから、父はよく家にいた。そしていろんな道具があった。おそらく一般家庭には無いような工具が揃っていたと思う。万力とかネジ切りとか。
そして、おそらく一般的な父親とは違う遊びを教えてくれた。(一般的な父親を持ったことがないので定かでは無いが
圧力釜で爆弾を作る方法とか、簡単ピストルの作り方とか、テレビを武器に変える方法とか
って、全部武器じゃん!笑
まぁ、そんな父親だったから弓矢なんてのは初歩の初歩だった訳だ。
僕の作った弓矢と兄の作った弓矢と、どちらが強力かよく競ったものだ。
最終的には鉄で出来たゴミ箱を貫通するまで威力を高めたところで、「ゴミ箱に穴を開けるんじゃありません!」と母に怒られて開発はストップした。
威力を高められるということは、威力を弱められるということだ。そんな教育方針だったのかもしれない。知らんが。
弓矢の構造は簡単だ。木、もしくは竹をしならせてその両端をたこ糸で結ぶだけだ。重要なのはむしろ矢の方で、まっすぐ飛ぶ矢を作るのはかなり難しい。ここでは詳細は割愛する。
そして、威力を決めるのは二つ。しなりの力と鏃だ。
鏃とは矢の先端に付けるナイフのようなものだ。釘でもなんでもいい。おすすめはダーツの先だ、すでにネジが切ってあるので装着が簡単なのだ。
弓のしなりが弱くても鏃が強力だと立派な武器になる。
大切なのは弓の威力が【弱い】ということだ。

ここからはあくまでも僕の考察による世間の物の見方なので、異議がある人もいるかもしれない。

世間一般で指す「暴力」は、インパクトの強さで決まるように思う。
例えば拳で殴るのは暴力だが、しっぺは暴力とは捉えない。
エアガンで撃てば事件だが、銀玉鉄砲で撃っても遊びですむ。
あくまでも僕の見解だが

話を戻そう。

高校時代、絡んできたエセヤンキーを殴ったら問題になっていただろう。
だけど手作りの、それもその辺の木で作った弓矢のオモチャで射ったところで遊びですむ。とその時の僕は考えた。
実際大した威力ではなかった。せいぜい2、3メートル飛ぶくらいだったと思う。
ただ鏃に丸ペンの先を使った。
漫画を描く人にはお馴染みの、先が尖ったペン先だ。クギやカッターの刃など凶器をイメージするものではNGだ。あくまでも「その辺で何気なく手に入る物」の括りでなくてはならない。シャーペンの芯でも良かったが丸ペンの方が装着しやすかったというのが採用の理由だ。
結果、丸ペンの先を装着した矢は50cm離れた的に難なく命中した。そう白いシャツを貫通してエセヤンキーのおへそに命中したのだ。
「うぎゃ~」という叫び声が教室にこだました。
僕は「大げさだな~ただのオモチャじゃんww
ここで大事なのは笑いながら言う事だ。あくまでも遊びである事を強調する。
目は笑わずに「何発でも遊びで矢を射るよ」と心の中でつぶやく。

そもそも、渡部家をよく知っている人は例外なく僕にちょっかいをかけたりはしない。
僕に絡んで来るのは大体が高校で知り合った市外からの生徒だった。
僕は、線が細かったし眼鏡をかけていたので舐められがちだったが、身体測定で測る筋力数値は全てクラス一だった。
背筋にいたっては機械の故障を疑われ三回も別の機器で測らされた。ゲームセンターにパンチ力を測るゲーム機があるが、僕の記録が同級生に抜かれたことはない。自分で言うのもなんだが当時の僕は身体能力が飛び抜けて優秀だったのだ。それに加えて武器の知識と父から教わった処世術(いかに問題にならずに人を懲らしめられるか)があった。更に珍走団の幼馴染、僕に輪をかけた兄、そして大ボスの父。笑
渡部家は地域ではちょっと有名な存在だったと思う。

そんなわけで弓矢は僕にとっては日常になっていた。



2020年7月8日水曜日

『サミー 物語2』

最初に、
僕は産まれた時に左目のほとんどの視力を失くした。
そんな僕がカメラマンになるまでの物語。

中学を卒業するまで数学と水泳大会1位の記録は守り通した。

高校は市で上から2番か3番のところを選んだ。何故だろうと理由を考えてみる。特に高校に夢を抱いていた訳ではない。敢えて言うなら兄がそこの卒業生だったから、と言うものかも知れない。(それで後に後悔することになるのだが
合格発表は眠かったので見に行かなかった。どうせ合格したら新聞に名前が載る仕組みになっていたのだ。わざわざ見に行く必要などない。と言う感じの冷めたガキだった。結局同じ高校を受験した子の親(母の友人)が受かってたわよーと電話して来てくれたのだが。
高校は当時で創立80年だか100年だかのそこそこ歴史のある学校で、もともと男子校から始まったせいか男子6割女子が4割の、今の僕だったら間違いなく選ばない学校だ。笑
Googlemapによると家から高校までは4.4km、最後に150mほどの地獄坂があった。毎朝自転車でタイムトライアルをするのが日課になっていた。当時の平均タイムは11分。どうしても地獄坂で失速してしまうのだ。そう言えば一度隣に住んでいた野球部男子と一緒に登校した事があった。その野球部男子の母親が一緒に登校してあげてと頼んで来たのだ。内心「??~?」と思ったが笑顔で「いいですよ~」と返事をした。野球部男子の脚に興味があったのだ。さあ、タイムトライアルの時間だ!僕はいつも通りのルートをいつも通りのスピードで駆け抜けた。残念ながら野球部男子はあっという間に見えなくなった。それ以来一緒に登校してとは言われなくなった。笑
高校は私服だったが、僕は学ランを好んで着ていた。理由は楽だったから。毎朝服を選ぶのは大変なのだ。だけど学ランなら服選びの5分間を睡眠に充てる事が出来た。僕は寝るのが大好きだった。その為の学ランだ。兄のお下がりの学ランは右内側に龍、左内側に虎が住んでいて、まるでヤンキー仕様だったが、着ていた当人は七三分けにメガネと言うなんともアンバランスな感じだった。そんな虎と龍を飼っていたものだから、クラスのエセヤンキーによく絡まれたものだ。あまりにも鬱陶しかったので、ある日自作の弓矢で🏹射ってやった。それから何故か静かになってくれてとても助かった。
高校は三年間応援団に所属した。
応援団の為の学ランではなかったが、ある意味とてもしっくりくる組み合わせではあったと思う。
そして、相変わらず写真は撮り続けていた。

今思うと、先生の指示に従う部活が嫌いだったのかもしれない。
だからサークルを作った。
他の高校からもメンバーを募り【artrandom】を設立した。
サバゲーをしたりBBQをしたり映画を作ったり、とにかくやりたい事をやるサークルだった。
そこで映画作りの魅力にハマり、漠然とそれを仕事にしようと決めた。

たった一つの問題は、卒業出来るか、その一点だった。笑

3つ上の兄はまあまあ優秀でとにかく勉強ができた。それを覚えていて比較し、僕の学力に対して罵声を浴びせる教師もいた。傷付かなかったと言えば嘘になるが、どちらかと言えば憐みの感情の方が強かったように思う。(ああ、この人はきっと誰からも愛されずに一生を終えて行くんだろうな。高校生にそんな風に思われる教師ってなんか可愛そうだなぁ)とまぁ、相変わらず冷めたガキだったのだ。
月日は流れ、相変わらずの映画三昧、写真三昧、好きな事三昧。
おかげでますます卒業が怪しくなった。

つづく