最初に、
僕は産まれた時に左目のほとんどの視力を失くした。
そんな僕がカメラマンになるまでの物語。
今から51年前、僕は東京の杉並で産まれた。
子供のころは体が弱く、小児喘息を患っていた。
当時の空気が汚れた東京では生きて行けないと判断した両親は、3歳だった僕を長野に住む祖父母の元へと預けた。
3歳児に理由や状況など分かるはずも無く、ただなすがままに祖父母との三人生活が始まった。
思い出す事と言えば、苦しかった胸の痛みと、毎晩決まって吐いていた事だけだ。
祖父母は僕に優しかったし、僕も彼らの事が大好きだった。
何をしても怒らず、ただ笑って僕を受け入れてくれた 。
それでも今振り返ると、僕は何かに苛立っていた。
僕は決していい子ではなかったと思う。
親のいない寂しさと胸の苦しさを、きっと当たりにまき散らしていたに違いない。
保育園にも行きたくないとよく駄々をこねた。
僕は園にとっては問題児だったようで、呼び出しもちょくちょくあったようだ。
強烈に覚えているのは、お昼寝をしないと言う理由で納屋に閉じ込められた事だ。
トイレに行けずその場でおしっこをした記憶がある。
そんな先生たちとの確執もあり、本当に保育園が嫌いだった。
どんなに駄々をこねても、祖父母は嫌な顔一つせずに僕に笑いかけてくれた。
ある日。
絶対に保育園に行かないと篭城した僕に、おばあちゃんはぬいぐるみを買ってくれると約束してくれた。
どこで買ったかは忘れたが、形や色はしっかりと覚えている。
茶色いクマのぬいぐるみ。両手が繋がっていて赤青黄色の笹を持っていた。
コロと名付けた。
コロはその日から僕の弟になった。
寝るときも遊ぶときもいつも一緒だった。
僕の心の一部をコロが背負ってくれていたのかも知れない。
相変わらず僕は保育園が嫌いだったし、祖父母を困らせていた。
だけど、何かが少しずつ変わったような気がする
少なくとも喘息は徐々に良くなっていった。
そして、半年後には両親と兄が長野にやって来た。
6人と1匹の生活が始まった。
僕にはコロも家族だった。
今僕がここでこうしてあるのは、優しかった祖父母とコロの影響が大きかったと思う。
いつも笑っていた祖父母。
いつも笑っていた祖父母。
今度は 、僕が誰かの為に笑っていようと思う 。
ps. コロへ
天国のおじいちゃんとおばあちゃんを
よろしく頼みます
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