2020年8月7日金曜日

『コロ物語』サミー物語 番外編

最初に、
僕は産まれた時に左目のほとんどの視力を失くした。
そんな僕がカメラマンになるまでの物語。

今から51年前、僕は東京の杉並で産まれた。
子供のころは体が弱く、小児喘息を患っていた。
当時の空気が汚れた東京では生きて行けないと判断した両親は、3歳だった僕を長野に住む祖父母の元へと預けた。
3歳児に理由や状況など分かるはずも無く、ただなすがままに祖父母との三人生活が始まった。
思い出す事と言えば、苦しかった胸の痛みと、毎晩決まって吐いていた事だけだ。
祖父母は僕に優しかったし、僕も彼らの事が大好きだった。
何をしても怒らず、ただ笑って僕を受け入れてくれた 

それでも今振り返ると、僕は何かに苛立っていた。

僕は決していい子ではなかったと思う。
親のいない寂しさと胸の苦しさを、きっと当たりにまき散らしていたに違いない。
保育園にも行きたくないとよく駄々をこねた。
僕は園にとっては問題児だったようで、呼び出しもちょくちょくあったようだ。
強烈に覚えているのは、お昼寝をしないと言う理由で納屋に閉じ込められた事だ。
トイレに行けずその場でおしっこをした記憶がある。
そんな先生たちとの確執もあり、本当に保育園が嫌いだった。
どんなに駄々をこねても、祖父母は嫌な顔一つせずに僕に笑いかけてくれた。

ある日。
絶対に保育園に行かないと篭城した僕に、おばあちゃんはぬいぐるみを買ってくれると約束してくれた。
どこで買ったかは忘れたが、形や色はしっかりと覚えている。
茶色いクマのぬいぐるみ。両手が繋がっていて赤青黄色の笹を持っていた。
コロと名付けた。

コロはその日から僕の弟になった。
寝るときも遊ぶときもいつも一緒だった。
僕の心の一部をコロが背負ってくれていたのかも知れない。

相変わらず僕は保育園が嫌いだったし、祖父母を困らせていた。
だけど、何かが少しずつ変わったような気がする
少なくとも喘息は徐々に良くなっていった。
そして、半年後には両親と兄が長野にやって来た。
6人と1匹の生活が始まった。

僕にはコロも家族だった。

今僕がここでこうしてあるのは、優しかった祖父母とコロの影響が大きかったと思う。
いつも笑っていた祖父母。
今度は 、僕が誰かの為に笑っていようと思う 


ps. コロへ 
天国のおじいちゃんとおばあちゃんを 
よろしく頼みます 




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