2020年12月14日月曜日

『サミー物語5』

最初に、

僕は産まれた時に左目のほとんどの視力を失くした。

そんな僕がカメラマンになるまでの物語。


30年前の飛行機では映画は始まる時間が決まっていて、それをみんなで観ると言う映画館スタイルだった。

もちろん個人用のモニターがあってゲームができるわけでもなく、自由になるのは専用イヤホンで聴く機内ラジオと無料でもらえるトランプとお酒くらいだった。

10時間のフライトは映画と食事以外の時間をトランプとお酒のローテーションで埋めた。

ポールがいてよかったと初めて思った瞬間だった。一人でのトランプはあまりにも虚しすぎる

ちなみに僕は飛行機では滅多に寝ない。その方が到着後の時差ボケも少ないし、なにより寝ている間に「UFOと遭遇」みたいなドラマを逃したくない。


空港には父の友人のダレルが迎えに来てくれていた。

バンクーバー国際空港からダウンタウンまでは車で30分ほどだ。

その足でホテルにチェックインを済ませシーフードレストランに向かった。

名前は忘れたがグランビルアイランドにある高級店だったように思う。

僕はまだ海老アレルギーではなかったのでロブスターを食べた。


いろいろ割愛するが、僕がお世話になったホストファミリーはノースバンクーバーに住んでおり、ダウンタウンまではバスで30分ほどの距離だった。

この「バス」が曲者なのだ!

バンクーバーでの移動はこのバスが基本になる。

バンクーバーに住むのならこのバスシステムを熟知しなければ生きていけないと言っても過言ではない!

(実際僕も死にかけたことがある。その話はまた今度するとしよう。)

現在はどうか知らないが、30年前のバス停は乗車専用と降車専用の2種類あり、降車用のバス停で待っていてもバスは止まってくれない。そのまま永遠に待ち続けることになる。そして、乗車用と降車用はだいぶ離れている。

更にバスにはそれぞれ番号がふってあり、その番号により止まらないバス停も存在する。

「ここで降りたいのに~!」なんてこともしばしばだ。

この番号が3桁まであるから間違いやすい。161116みたいな感じだ。

このバスシステムに慣れたのは英語が喋れるようになったずいぶん後の話だ。

この他にもトランスファーシステムとかゾーンシステムとかいろいろ複雑なのだがバスの話はこのあたりにしておこう。

あ、もう一つ。

バンクーバーのバスで一番驚いたのは、運転手が突然降りてコーヒーを買いに行く事だ。その間乗客は当たり前の事のように待っている。

ちなみに次に驚いたのは、乗客を乗せたままだと坂道を登れない電気バスだ。坂道の手前で「みんな降りて歩いて登って」と運転手からアナウンスが流れる。笑

これも当たり前の事のように皆んな歩いて坂を登っていく。とてもほのぼのした光景だった。


次回はいよいよ学校編!


つづく






2020年9月4日金曜日

タクシードライバー

昔、20年ほど前になるだろうか 
カナダに住んでいた頃
旅行の途中で何気なく立ち寄った本屋で一冊の本を見つけた 

TAXI driver の言葉を集めたA6程の小さな洋書 
その中の一節に心惹かれた 

ー Everybody go different way to see the same thing. ー 
皆同じものを見る為に違う道を行く 


そう
そうゆう事なのだ 
タクシードライバーは真理を知っている 

ー Everybody go different way to see the same thing. ー 
皆同じものを見る為に違う道を行く 
今もその言葉に支えられている 


例え離れ離れになったとしても 
最終目的地はみんな一緒なのだ 

いずれ魂が出逢うはずだ 



2020年8月18日火曜日

人物写真を上手に撮るコツ

人物写真を上手に撮るコツは意外と簡単です。

えっ!?
ってくらい簡単です。
今日はそのコツについてお話しします。


結論から言います。
ほとんどの日本人は撮影を意識した瞬間から顔が強張ります。
[声を掛ける前に撮る!]被写体が意識した時にはもう撮り終わっている。
いい写真を撮るコツはたったそれだけです。



結婚式で、「ちょっと写真撮って~」なんて頼まれるのは良くあることです。
旅行先でパパが子供たちの写真を撮る光景も良く目にします。
そんな時あなたならどう撮りますか?
カメラを構えて「はい、チーズ」って言いながら撮りますか?

そう、ここがポイントです!

『はい、チーズ』がシャッターを切る合図だと思っていませんか?
きっと多くの人がYESと答えるでしょう。

実は.. NOなんです。

多くの人が「はい、チーズ」でシャッターを切ると思います。
なんでこんなにも、多くの人が「はい、チーズ」を言うのか気になったので調べてみました。


写真撮影で笑顔を作るための「はい、チーズ(Say Cheese)」が紹介された記録としては、194310月にテキサス州で発行された新聞「ビッグ・スプリング・ヘラルド The Big Spring Daily Herald」が最初のようです。
記事のタイトルは、「Need To Put On A Smile? Here's How: Say 'Cheese'」(笑顔で写したい?ならこれだ。チーズと言おう。)


耳寄りな情報です。
写真に写るとき笑顔を作る方法をご紹介。
これは前大使ジョセフ・デイビス氏によるもので、
どんな気分の時でも楽しそうに見えること請け合いです。
デイビス氏がこの方法を披露したのは、モスクワへの任務中に自撮りをしたときのこと。
簡単です。「チーズ」と言うだけで、勝手に笑顔になるんです。
「ある政治家から教わったんだ」デイビス氏は笑いました。
「凄腕で偉大な政治家だよ。けど、もちろん誰かは言えないけどね。」

どうやらデイビスさんがきっかけのようです。

写真で笑顔を作る掛け声として、なぜチーズが選ばれたのでしょう? 大きな理由の一つとしては、チーズの「チー」を発音するときに口が横に広がり、口角が上がって笑顔のように見える点が挙げられます。 写真撮影を行うカメラマンは、写る人たちに「チーズ」と言わせる際、「チー」の瞬間に合わせてシャッターを切ることで、笑顔に近い状態で人物の顔を写真に収めることができるというわけです。 もちろん、チーズ以外にも同様の効果が得られる単語は無数にあります。母音で「イー」と長く伸ばす発音の単語であれば、「ピース」でも「リース」でも効果は同じです。 チーズが選ばれた理由としては、言葉の親しみやすさ、発音のしやすさ、覚えやすさ、など様々な要因が考えられますが、最終的には発案者の感性に基づく瞬間的なひらめき・思い付きによる所が大きいのかもしれません。
「はい、チーズ!」が日本で広まったのは、1964年の東京オリンピック(東京五輪)が開催される前年のこと。 当時の雪印乳業(現:雪印メグミルク)のテレビCMで、カメラマンが「はい、チーズ!」と女の子を撮影する映像が放送されました。(チーズの宣伝として)
これは英語版の「Say Cheese」をそのまま日本語に取り入れたものと思われますが、日本ではカメラマンのみが言う掛け声として定着してしまったようです。

つまり、カメラマンだけが「はい、チーズ」と言ったところでなんの意味も無いわけです。
写る人たちが「チーズ」と言うことで擬似的な笑顔を作ることが出来るのです。
しかし、それもアメリカの話です。

これは、海外留学をして分かったことですが、西洋の人はとにかく写真を撮る!
誕生日、卒業、入学、クリスマス、新年、夏休み、冬休み、なんでもない日、とにかく写真を撮る。
最低でも年一回はプロカメラマンに家族写真を撮ってもらってます。
それだけ撮られることに慣れているのです。
しかし、日本はそれほど写真に慣れ親しんだ国とは言えません。
カメラを向けられて「これからあなたの写真を撮りますよ」と言われて緊張しない人は少ないでしょう。
ほとんどの人が緊張して強張った表情になるのではないでしょうか?



結論

ほとんどの日本人は撮影を意識した瞬間から顔が強張ります。
声を掛ける前に撮る。(はい、チーズは言わない!)
被写体が意識した時にはもう撮り終わっている。
そうすれば自然な表情の写真が撮れます。
いい写真を撮るコツはたったそれだけです。



2020年8月7日金曜日

『コロ物語』サミー物語 番外編

最初に、
僕は産まれた時に左目のほとんどの視力を失くした。
そんな僕がカメラマンになるまでの物語。

今から51年前、僕は東京の杉並で産まれた。
子供のころは体が弱く、小児喘息を患っていた。
当時の空気が汚れた東京では生きて行けないと判断した両親は、3歳だった僕を長野に住む祖父母の元へと預けた。
3歳児に理由や状況など分かるはずも無く、ただなすがままに祖父母との三人生活が始まった。
思い出す事と言えば、苦しかった胸の痛みと、毎晩決まって吐いていた事だけだ。
祖父母は僕に優しかったし、僕も彼らの事が大好きだった。
何をしても怒らず、ただ笑って僕を受け入れてくれた 

それでも今振り返ると、僕は何かに苛立っていた。

僕は決していい子ではなかったと思う。
親のいない寂しさと胸の苦しさを、きっと当たりにまき散らしていたに違いない。
保育園にも行きたくないとよく駄々をこねた。
僕は園にとっては問題児だったようで、呼び出しもちょくちょくあったようだ。
強烈に覚えているのは、お昼寝をしないと言う理由で納屋に閉じ込められた事だ。
トイレに行けずその場でおしっこをした記憶がある。
そんな先生たちとの確執もあり、本当に保育園が嫌いだった。
どんなに駄々をこねても、祖父母は嫌な顔一つせずに僕に笑いかけてくれた。

ある日。
絶対に保育園に行かないと篭城した僕に、おばあちゃんはぬいぐるみを買ってくれると約束してくれた。
どこで買ったかは忘れたが、形や色はしっかりと覚えている。
茶色いクマのぬいぐるみ。両手が繋がっていて赤青黄色の笹を持っていた。
コロと名付けた。

コロはその日から僕の弟になった。
寝るときも遊ぶときもいつも一緒だった。
僕の心の一部をコロが背負ってくれていたのかも知れない。

相変わらず僕は保育園が嫌いだったし、祖父母を困らせていた。
だけど、何かが少しずつ変わったような気がする
少なくとも喘息は徐々に良くなっていった。
そして、半年後には両親と兄が長野にやって来た。
6人と1匹の生活が始まった。

僕にはコロも家族だった。

今僕がここでこうしてあるのは、優しかった祖父母とコロの影響が大きかったと思う。
いつも笑っていた祖父母。
今度は 、僕が誰かの為に笑っていようと思う 


ps. コロへ 
天国のおじいちゃんとおばあちゃんを 
よろしく頼みます 




2020年8月3日月曜日

『サミー物語4』

最初に、
僕は産まれた時に左目のほとんどの視力を失くした。
そんな僕がカメラマンになるまでの物語。



日本とカナダでは新学期の時期が違う。カナダは9月で日本は確か4月だったと思う。
それに加えて当時は学生ビザを取るのも結構大変だった。

そんな訳で僕には日本で半年の猶予が出来た。
それまでに英語力を鍛え、荷造りをし、アルバイトで少しでも生活費を貯め・・・

ー などと言うのは嘘だ。今とって付けている ー


当時の僕は、カナダに行く気など更々なかった。
日本が大好きだった。
なぜ好き好んで日本を出ないといけないのか?
留学の話など卒業するための方便だ!
と思っていた。《赤坂》に行くまでは。
そう、赤坂にはカナダ大使館がある。
いつもの冗談だと思っていたのだが、どうやら父親は本気で息子たちをカナダに送るつもりだったのだ。

え~~~~~!?

まぁ、そこはそれ
行くとなったのなら、楽しまなきゃ損だ。
と言うわけで、まずマントを探した。
やはり外国に行くにはマントが必要だろう。
アルセーヌルパンっぽいやつが必要だ。
しかし、何処にもマントは売っていなかった。
仕方がないのでトンビコートで妥協する事にした。
トンビコートは着物の上から羽織るコートだ。昭和の初期には学生服の上からもよく羽織られていた。(見たことは無いが)


唐突に余談だが、長野県は当時食品の実験地域に指定されていたらしい。
誰に聞いても知らないようなお菓子や飲み物が跋扈していた。
例えば、「カレーガム」カレールウの形をしたガムで、味ももちろんカレー味だ!これは3ヶ月くらいでお店から消えた。
「ミルクコーラ」その名の通りコーラのミルク割りだ。一部の学生に流行ったものの半年ほどで自販機から消えた。
個人的にはどちらも好きだったので市場から消えたのは残念でならない。
あ、プリンシェイクはまだ残っていて嬉しい限りだ。

さて、話を元に戻そう。
無事にトンビコートをゲットして、あとは拙い英語力をどうするか?
前回も少し触れたが、とりあえず公民館で英語を習う事にした。
毎週火曜日19時~20時、主婦に混じって楽しい英語教室の時間だった。
まわりの主婦たちは僕と同等のレベルだった。
つまり be動詞って何?ってレベルだ。
公民館の英語教室の先生は外国人だった。日本語はあまり喋れない。
かたや生徒たちは英語を全く喋れない。
今となってはどうやってコミュニケーションをとっていたのか思い出せないが、笑いの絶えないクラスだったのは覚えている。
結局、英語の何も身につかないまま出発の日を迎えた。
スーツケース三つを持って飛行機に乗る。
目指すはバンクーバー、山々に囲まれたヨットハーバーの街。
10時間のフライトだ。
とりあえずポールと二人ジンで門出を祝って乾杯した。

退屈だ。
10時間のフライトはとても退屈だった。


つづく





2020年8月1日土曜日

『写真を撮る』とは?

『写真を撮る』とは?
いったいどう言う事なのだろうか?

「シャッターを切る」 のとは違う

「写真を撮る」とは、
撮りたいものを明確にして、構図を考えて、光源を考えて、露出を考えて、シャッターを切るタイミングを考えて、撮影したものの現像方法を考えて、色味を考えて、コントラストを考えて、データの大きさを考えて、書き出すデータの種類を考えて、最終的に一枚の絵として成立するものを生み出す作業
かいつまむとこんな感じになる

分かりやすい例えを出すなら「ピアノ」だ

ピアノの鍵盤は誰でも叩いて音を出す事が出来る
子供だって老人だって、それこそ音楽音痴の僕だって
鍵盤を叩いて音を出す事は出来る
だからと言って、僕はピアノを弾けますとは言わない

音を出す 弾ける
ではない

シャッターを切る 写真が撮れる
ではないのだ

ピアノを弾けない僕が「ピアノを弾くとは」を説明出来るかは分からないが
楽譜を読んで作曲者の意図を考え、情景を読み解き、音が自分のものになるまでひたすらに練習して、メロディーに物語が見えた時にやっと一曲弾けると言えるのではないだろうか?

6歳までピアノを習ってましたと言う女の子が
二十歳になって、得意な事を書く欄に「ピアノ」と書くとは思えない
きっと、私ピアノ弾けますとも言わないだろう

それは、小学校から授業で習う程に音楽と言うものが我々の日常に浸透していて、素人の僕でも何となく上手い下手が分かるからだろう

ピアノが得意なんて言って下手だったらどうしよう

そんな心理もあるのかもしれない

しかし写真は...
ほとんどの人が何が良くて何が変なのかを区別出来ないでいる

写真を撮る事の意味を分からないでいる

だから誤解してしまう
シャッターを切る事が写真を撮る事だと

そんな間違いがプロの世界でも横行してしまう

.
.
.

『写真を撮る』とは?

『愛を持って考え続ける事』
それが僕の答えだ



2020年7月30日木曜日

お金を払って自分を嫌いになる写真

最近、写真について語り合う機会が増えた。
写真とは?
いい写真とは?
よくない写真とは?
そんな話を何時間もしている。

その中で出てきた言葉が衝撃的だった。

「なんか違うんですよ、他の人に撮ってもらった写真はなんか違うんですよね~、なんか好きになれないんですよ。お金を払って自分を嫌いになる写真撮ってる感じです。」

衝撃的だった。

お金を払って自分を嫌いになる写真を撮る !?

そんなことがあっていいの?
それって例えるなら、病院に行って病気になるとか、ガソリンスタンドでパンクするとか、レストランの食事が激マズだとか、そう言うことでしょ?
それはビジネスとして成立するの?

それは、こう言うことらしい。
日常生活の中で【写真】が必要になることはレアで、普段は【写真】のことなんか考えない。
しかし、【写真】はある日突然必要になる。必要になる瞬間が突然にやって来るのだ。
その時になって、ほぼ全ての人が焦る。焦ってその辺で適当に済ます。そしてその適当にその辺で済ました【写真もどき】は永遠に残るのだ。
見る度に自己否定感と後悔を伴って。

うんうん、そうだよね。
普段写真のことなんて考えないよね。
次はどんな車に乗ろうかとは思っても、次はどんな写真を撮ろうかと思う人は少ない。
癌になったらどうしようと心配する人はいても、写真が酷かったらどうしようと心配する人は聞いたことがない。
明日の天気を気にする人はいても、明日の写真を気にする人はいない。

スマホにカメラが付いて撮影がとても身近になった。
しかし、写真はまだまだよく分からない世界なのだと思う。

何がいい写真で何がよくない写真か?
それを明確に答えられる人は少ないが、心の中では分かっているのだ。
だから、みんな成人式の時に撮った写真を封印するのだろう。
お金を払って封印する写真。
なんだか悲しくなってくる。

撮る前にリサーチをすればいいのだろうけど、困ったことにいい写真を撮るカメラマンは隠れていてなかなか世に出て来ない習性がある。
いわゆる 19 の法則だ。
写真の才能が1の人は、営業の才能が9。
写真の才能が9の人は、営業の才能が1。
と言うやつだ。
人は足して10の才能を持っている。どう割り振っているかの問題だ。
最高の写真を撮る人は隠れていることが多いのはこのためだ。
プロデュースしてくれる人と組んでいるカメラマンはなかなかいない。
そこが絵描きとの違いだろう。

では、どうすればいいのか?
探してもいいカメラマンは見つからず、運に任せても当たる確率は低い。
これは難問だ、、、

一番の問題は、写真は撮るまで結果が分からないところだろうか。
と言うか、ほとんどの人は撮った後も写真の良し悪しは分からないかもしれない。
これはますます難問だ~


つまり、撮る前からある程度結果が分かればいいってことか!
同時に写真を見る目を養ってもらおう。

その為には写真教室の普及と、プラットフォームの確立だな!


ってところにいつも行き着く。



そんな写真談義を楽しんでいる。