2020年7月30日木曜日

お金を払って自分を嫌いになる写真

最近、写真について語り合う機会が増えた。
写真とは?
いい写真とは?
よくない写真とは?
そんな話を何時間もしている。

その中で出てきた言葉が衝撃的だった。

「なんか違うんですよ、他の人に撮ってもらった写真はなんか違うんですよね~、なんか好きになれないんですよ。お金を払って自分を嫌いになる写真撮ってる感じです。」

衝撃的だった。

お金を払って自分を嫌いになる写真を撮る !?

そんなことがあっていいの?
それって例えるなら、病院に行って病気になるとか、ガソリンスタンドでパンクするとか、レストランの食事が激マズだとか、そう言うことでしょ?
それはビジネスとして成立するの?

それは、こう言うことらしい。
日常生活の中で【写真】が必要になることはレアで、普段は【写真】のことなんか考えない。
しかし、【写真】はある日突然必要になる。必要になる瞬間が突然にやって来るのだ。
その時になって、ほぼ全ての人が焦る。焦ってその辺で適当に済ます。そしてその適当にその辺で済ました【写真もどき】は永遠に残るのだ。
見る度に自己否定感と後悔を伴って。

うんうん、そうだよね。
普段写真のことなんて考えないよね。
次はどんな車に乗ろうかとは思っても、次はどんな写真を撮ろうかと思う人は少ない。
癌になったらどうしようと心配する人はいても、写真が酷かったらどうしようと心配する人は聞いたことがない。
明日の天気を気にする人はいても、明日の写真を気にする人はいない。

スマホにカメラが付いて撮影がとても身近になった。
しかし、写真はまだまだよく分からない世界なのだと思う。

何がいい写真で何がよくない写真か?
それを明確に答えられる人は少ないが、心の中では分かっているのだ。
だから、みんな成人式の時に撮った写真を封印するのだろう。
お金を払って封印する写真。
なんだか悲しくなってくる。

撮る前にリサーチをすればいいのだろうけど、困ったことにいい写真を撮るカメラマンは隠れていてなかなか世に出て来ない習性がある。
いわゆる 19 の法則だ。
写真の才能が1の人は、営業の才能が9。
写真の才能が9の人は、営業の才能が1。
と言うやつだ。
人は足して10の才能を持っている。どう割り振っているかの問題だ。
最高の写真を撮る人は隠れていることが多いのはこのためだ。
プロデュースしてくれる人と組んでいるカメラマンはなかなかいない。
そこが絵描きとの違いだろう。

では、どうすればいいのか?
探してもいいカメラマンは見つからず、運に任せても当たる確率は低い。
これは難問だ、、、

一番の問題は、写真は撮るまで結果が分からないところだろうか。
と言うか、ほとんどの人は撮った後も写真の良し悪しは分からないかもしれない。
これはますます難問だ~


つまり、撮る前からある程度結果が分かればいいってことか!
同時に写真を見る目を養ってもらおう。

その為には写真教室の普及と、プラットフォームの確立だな!


ってところにいつも行き着く。



そんな写真談義を楽しんでいる。



2020年7月21日火曜日

写真を撮る5つの理由

現代ではスマホはなくてはならない物になりました。
そして、スマホのカメラはどんどん優秀になっていきます。
これは使わないと勿体ない。

ほんの15年くらい前まではまだフィルムの時代でした。
日常の風景をパシャパシャ撮れるようなものでも無かった。
しかし、カメラがデジタルになって、現像する必要がなくなり、
スマホになってプリントする必要も無くなってきました。
手の中で全てが完結する。

本当に写真は身近になったと思う。
身近になったはずなのに、、、

なぜだろう?
撮影スキルはカメラの進歩に一向に追いつく気配がない。


もしかしたら、人々は写真が上手くなることのメリットに気付いていないのかもしれない。
きっとそうに違いない!

ちょっと考えてみましょう。
写真が上手くなるとどんないい事があるでしょう?


【思い出を形作るのは写真である】
人の記憶は曖昧で、旅先で出合った息を飲む風景も、美味しい料理も、笑いあった会話も
時間が経つ毎に風化していってしまう。それを知っているから、人々は旅先では特に写真を撮るのです。
もしも酷い写真だったら、思い出も劣化していってしまう。
でも、その写真が上手かったら、思い出も永遠にいいものになるのです。

【写真が下手だと責められる】
例えば、娘のバレエの発表会で
例えば、息子の運動会のリレーのシーンで
写真には失敗できない瞬間がある!そんな瞬間の写真は難しい。
だけど世のお母さんたちは、「写真なんてシャッター押すだけなんだから撮れるでしょ!?」と、無茶振りを要求してくる。
そう、撮れて当たり前ぐらいに思っているのです。
そこでシャッタースピードがどうとかレンズがどうとか言ったところで、話は先に進みません。
ここはサラッとカッコよく写真を撮るのが正解です。

【写真は美的センスを育む】
とどのつまり、写真とは美的センスであり、芸術なのです。
AIが人に代わって仕事をする時代、人に求められる究極は『芸術性』だと言われてます。
その芸術性を鍛えるのに写真はもってこいです。
なぜなら、カメラだけで写真を撮るわけではなく、それまでに見たすべての写真、読んだすべての本、聴いたすべての音楽、愛したすべての人によって、写真撮影という行為に命を吹き込んでいくからです。
AIには真似のできない領域なのです。

【写真は物の見方を柔軟にしてくれます】
写真を撮るということは、『あらゆる角度から物事を見る』と言うことです。
でなければいい写真は撮れません。
いい写真を撮るためには、柔軟な心が必要です。
つまり、写真が上手くなれば柔軟な心も手に入れられるのです。

【何より満足感がすごい】
いい写真が撮れた時の満足感はすごい。
例えるなら、ゴルフでホールインワンをした時、
あるいは、野球で満塁ホームランを打った時、エベレストに単身で登頂した時、期末テストでオール満点を撮った時、そんな満足感や達成感に似ています。
どれもそうですが、これは撮ったものにしか味わえないものでしょう。
だから僕は毎日写真を撮ってます。

良いことだらけの写真。
撮らなきゃ損ですよね。
しかもそのカメラは、あなたの手の中にあるのです。


あ!
大事な事を言い忘れてました。
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2020年7月20日月曜日

人と人の間は一方通行じゃない

例えば、
誰かに悩みを相談して
その人が優しく寄り添ってくれて
結果、
自分の中の答えを見付ける事が出来て
悩みが解決し人生が良い方向に歩き出す

その人は救われたと思うだろう

そして、もう一方で
相談された方も救われている

人は誰かの役に立ちたい生き物だ
困っている役の人がいなければ
助ける役も生まれない

人は、救われたと同時に
誰かを救っているのだ

人と人の間は一方通行じゃない

救われたと思うのなら、同じ様に救っているし
怒られたのなら、相手も痛いし
愛が冷めたと感じるなら、自分の愛も冷めているのだ


写真も一緒で
奇麗な写真とか
可愛い写真とか
ドラマチックなものとか
いろいろ言い方はあるけど

いい写真を撮ってくれてありがとう
そう思っている反対側で
いい写真を撮らせてくれてありがとう
いつもそう思っている

人と人の間は一方通行じゃない


2020年7月17日金曜日

『サミー物語3』

最初に、
僕は産まれた時に左目のほとんどの視力を失くした。
そんな僕がカメラマンになるまでの物語。



僕の高校卒業を脅かしていたのは「日本史」だった。
僕はこの歴史というやつが苦手だった。
「どうして合ってるか間違ってるか分からないものを暗記しなくちゃいけないの?」の問いに答えを見つけられないまま3年が過ぎようとしていた。

つまりもうすぐ卒業だ。

最後の期末テストで赤点を取り(末広がりなラッキーナンバーだったから、いまだに点数を覚えている。8点だ。笑)
そして運悪く、追試の日は見たかったテレビ番組と重なったのだ。
仕方がないので、テレビを優先した。

....


期末テストの日本史で8点を取り、追試をすっぽかした僕が無事に卒業できたのはまさに奇跡だった。
まぁ、僕なりにちょっとした保険はかけてたのだ。

キーワードは【留学】だ。

僕の通った高校は長野の田舎で、33年前はそれこそ外国人が珍しい時代だった。
そんな環境なものだから「留学」と言うワードは「異世界召喚」と同じくらいレアで衝撃的なワードだった。

担任からの「進路はどうするんだ?」の質問に、僕は必殺!の呪文を唱える。
「カナダに留学します」
サミーは【留学】を使った!テレテレテレ〜ン♬の効果音が頭にこだまする。

おそらく創立始まって以来の「留学」だったのではないだろうか。知らんが。
兎にも角にも、そんな訳で僕は無事卒業出来たのだった。

ちなみに英語は日本史に次ぐ不得意な教科だったので、友人からは留学なんて自殺行為だと笑われた。
なので出発までの間、とりあえず公民館で英語を習う事にした。
毎週火曜日19時~20時、主婦に混じって楽しい英語クラブの時間だった。

が、そこで英語力がついたとはどうしても思えない


つづく



2020年7月15日水曜日

カメラマンの見分け方

僕が望む世界とは?


答えに悩んだ。
なんだろう?望む世界...

写真の良し悪しが分かる人が増える事かなぁ
でもそれだと変な写真が無くならないしなぁ
って事は、世界が素晴らしい写真で溢れる事か!

僕が望む世界とは『素晴らしい写真で溢れている世界』

では、
素晴らしい写真とは何か?

一言で言えば『伝わる写真』
僕にとって写真とはコミュニケーションの一つであり、誰かに思いを伝える手段なのだ。
言葉や音楽と似ている。

人に伝わる写真とはなんだろう?
人を撮ると言う事に限定して考えてみる。
独りよがりでない事。(独り言をつぶやいても誰にも伝わらない)
意図を持って撮る事。(伝えたいものを明確にする)
心の中の本質を撮る事。(浅い表面を取り繕ってもすぐにバレてしまう)
その写真を見た人が何かを受け取ってくれる事。


写真には点数をつける基準がないから、どうしても良し悪しがあやふやになってしまう。
そこが難しいところなのだ。

そもそも世の中には「いい写真とは何か?」が浸透していない。
誰も写真の良し悪しなどは考えていない。
多くのプロが何も考えずにシャッターを切っているのも、ある意味仕方ない事なのかもしれない。



ここで質問です。
この世界には二人のカメラマンがいます。

カメラマンA
写真を一つの物体として見て、表面だけを止まったまま撮っている。
(こんな写真撮れる俺ってすごいだろ!)と、カメラマンが主役になってしまっている。
被写体に仮面を被らせて撮っていて、マネキンでもいい写真になっている。
身構えて鎧を着て撮っている。身構えて鎧を着た被写体しか撮れない。
能力だけで撮っている。

カメラマンB
どのハッピーにピントを合わせてどんな写真にするかを感じて撮っている。
写真を通して誰に何を伝えたいのかを明確に撮っている。
被写体を主役にして撮っている。
本当に伝えたいものを撮っている。
ハートでシャッターを切っている。

あなたは、どちらのカメラマンに撮られたいですか?


『ここで少しカメラマンの頭の中を解説してみよう』
僕の場合、撮影依頼が来たら、
お客さんにヒアリングしてイメージもしくはストーリーを膨らませる。
本人を素敵に撮る事は当たり前で、その先をイメージする。
この写真を誰に見て欲しいのか?見た人にどう思ってもらいたいのか?
先の先を見ながらクライアントの未来を描く。
動きの流れの中で思い込みを取り除きながら、(僕はその人の何を撮りたいのか?)ゴールを見据えて、自然体に、アイデンティティーレベルで写真を撮る。

なんのこっちゃ  笑。って普通の人はなると思う。
僕が写真を撮る時、僕の頭の中はこんな感じに動いているのだ。


例えば、夕日で写真を撮りたいとお客さんが言う。
夕日は綺麗なので、誰を撮っても絵になる。(これは環境の力を借りて撮っている)
夕日の色と光を利用して人物を引き立たせる。(これは能力で撮っている)
なぜ夕日じゃなければならないのかを考えて撮っている。(これは価値観で撮っている)
夕日じゃなくてもいい写真を撮る。(これはアイデンティティーレベルで写真を撮っている)


重要なのはストーリー。
ストーリーとは、心を動かすもの。

お客さんが写真を通して伝えるべきものがあるとすれば、それは、愛だと思う。
愛とは、自分の中をさらけ出してみせる事。
カメラマンから被写体への愛、被写体から誰かに向けての愛。
心を動かすものはいつだって『愛』なのだ。




「笑って~」
と言うのは撮影シーンでよく聞く言葉だ。
「笑って~」とはどう言う事なのだろうか?
言っているカメラマン本人でさえ気付いていない深層心理に迫ってみる。
想像するにこの時のカメラマンの頭の中はこうだ
(ん~、なんかうまく撮れないなぁ...なんか緊張した被写体だな、こんなんじゃ全然いい写真にならないよ!俺様の評判が下がったらどうするのさ !? クレームになったらやだなぁ、せめて笑ってよ!!!)
「はい、笑って~」

多くの女性は経験があるのではないだろうか。
成人式の写真を撮った時の何とも言えない心情と封印したくなった写真と。

否定されながら撮られて自然体になれる人などいないと言う事だ。


写真を撮るときは、全てを肯定してシャッターを切るのだ。
肯定された瞬間の写真は本人も好きになるだろう。


いい写真を撮られるために。
いずれ、写真を撮られる時が来たら自分にこう問いかけてみて欲しい。

『何を撮りたいのだろう?洋服?髪型?アクセサリー?それとも自分自身?自分が写る上で何が一番重要だろう?』

そして、カメラマンにはこう問いかけてみて欲しい。
『どんな私を撮ってくれますか?』

そこで言葉に詰まってしまうカメラマンは表面を取り繕う事に一生懸命で、まだ本質に辿り着けないレベルと言う訳だ。






写真を撮ると言う事は、言葉にすると
実はとても簡単な事なのだ。

髪型や洋服ではなく 僕は、あなた自身に興味があるんです。
そのままのあなたがそこにいればいいのです。

未来に出版されるかも知れない『私のカメラマン』より抜粋


2020年7月12日日曜日

得意技

得意とはどう言う事だろうか?

例えば運転が得意だと言う人がいる。

それは、何をもって得意だと言えるのか?
早く走らせる事が出来るのか?
事故を起こさない自信があるのか?
交通ルールを全て把握してるのか?
コップの水をこぼさずに峠を下りる事が出来るのか?

一言で運転が得意と言っても、色んな解釈がある。

僕は写真が得意だが、
では、写真の何が得意なんだろうか?
と、考えてみた。

カメラの機械部分に詳しいのか?
レンズの銘柄を熟知しているのか?
ライティングのスペシャリストや、フォトショップの達人か?

どれもピンとこない。
僕は考えた。

  僕が他のどのカメラマンよりも優れている点 


・・・・・!

分かる事!

自分が撮った写真、他人が撮った写真を問わず、
何がいい写真で、何がダメな写真かが分かる事。

ファインダーを覗く前から絵が見えている事。

イメージする能力と、
絶対写真感。(絶対音感みたいだ)

僕はそれに特化している。


主観ではなく、客観的に、
独りよがりな思い込みではなく、平均的な感性で、
何が良く、何がダメかが分かる事。

『分かる』というのが僕の得意技だ。


何があなたの魅力かが分かる事だ。



2020年7月11日土曜日

生誕

ある日、あなたは
世界最大のレースに参加することになりました
競争者は4000万人以上です

その中で勝利するのはたった一人
勝てる確率は、0.0000025%


チャンスは0と言ってもいいでしょう
負ける理由しか見つかりません
誰だってそのようなレースに加わることは
狂気の沙汰だと思ったでしょう


それでも、あなたは参加しました
そして、勝つだろうと考えていたのです
あなたが勝利するとは
誰もが思っていなかったかもしれません
けれども、あなたは
世界最高の意地っ張りでしたし
決意も並大抵ではありませんでした


”あきらめる”という単語は、 
あなたの遺伝的辞書には、なかったのです


なぜなら、そのレースに負けたら
史上最高の賞を
取り逃がすことになったからです


どんな賞だと思いますか?
「生」です


誕生日おめでとう

さて、そんな素晴らしい賞を取ったあなたが 
一体何におびえると言うのです

あまりにも当たり前で
忘れがちな真実
まるで空気の様な
そんな幸運が
僕たちの周りには
渦巻いているのです