2020年7月9日木曜日

『弓矢物語』 サミー物語 番外編

最初に、
僕は産まれた時は純粋無垢な子供だった。
そんな僕がたこ糸とカッターで弓矢を作れるようになる物語。


僕の父親は発明家だった。
売れたものもあれば、売れなかったものもある。浮き沈みの激しい生活だった事を覚えている。
そんな仕事だったものだから、父はよく家にいた。そしていろんな道具があった。おそらく一般家庭には無いような工具が揃っていたと思う。万力とかネジ切りとか。
そして、おそらく一般的な父親とは違う遊びを教えてくれた。(一般的な父親を持ったことがないので定かでは無いが
圧力釜で爆弾を作る方法とか、簡単ピストルの作り方とか、テレビを武器に変える方法とか
って、全部武器じゃん!笑
まぁ、そんな父親だったから弓矢なんてのは初歩の初歩だった訳だ。
僕の作った弓矢と兄の作った弓矢と、どちらが強力かよく競ったものだ。
最終的には鉄で出来たゴミ箱を貫通するまで威力を高めたところで、「ゴミ箱に穴を開けるんじゃありません!」と母に怒られて開発はストップした。
威力を高められるということは、威力を弱められるということだ。そんな教育方針だったのかもしれない。知らんが。
弓矢の構造は簡単だ。木、もしくは竹をしならせてその両端をたこ糸で結ぶだけだ。重要なのはむしろ矢の方で、まっすぐ飛ぶ矢を作るのはかなり難しい。ここでは詳細は割愛する。
そして、威力を決めるのは二つ。しなりの力と鏃だ。
鏃とは矢の先端に付けるナイフのようなものだ。釘でもなんでもいい。おすすめはダーツの先だ、すでにネジが切ってあるので装着が簡単なのだ。
弓のしなりが弱くても鏃が強力だと立派な武器になる。
大切なのは弓の威力が【弱い】ということだ。

ここからはあくまでも僕の考察による世間の物の見方なので、異議がある人もいるかもしれない。

世間一般で指す「暴力」は、インパクトの強さで決まるように思う。
例えば拳で殴るのは暴力だが、しっぺは暴力とは捉えない。
エアガンで撃てば事件だが、銀玉鉄砲で撃っても遊びですむ。
あくまでも僕の見解だが

話を戻そう。

高校時代、絡んできたエセヤンキーを殴ったら問題になっていただろう。
だけど手作りの、それもその辺の木で作った弓矢のオモチャで射ったところで遊びですむ。とその時の僕は考えた。
実際大した威力ではなかった。せいぜい2、3メートル飛ぶくらいだったと思う。
ただ鏃に丸ペンの先を使った。
漫画を描く人にはお馴染みの、先が尖ったペン先だ。クギやカッターの刃など凶器をイメージするものではNGだ。あくまでも「その辺で何気なく手に入る物」の括りでなくてはならない。シャーペンの芯でも良かったが丸ペンの方が装着しやすかったというのが採用の理由だ。
結果、丸ペンの先を装着した矢は50cm離れた的に難なく命中した。そう白いシャツを貫通してエセヤンキーのおへそに命中したのだ。
「うぎゃ~」という叫び声が教室にこだました。
僕は「大げさだな~ただのオモチャじゃんww
ここで大事なのは笑いながら言う事だ。あくまでも遊びである事を強調する。
目は笑わずに「何発でも遊びで矢を射るよ」と心の中でつぶやく。

そもそも、渡部家をよく知っている人は例外なく僕にちょっかいをかけたりはしない。
僕に絡んで来るのは大体が高校で知り合った市外からの生徒だった。
僕は、線が細かったし眼鏡をかけていたので舐められがちだったが、身体測定で測る筋力数値は全てクラス一だった。
背筋にいたっては機械の故障を疑われ三回も別の機器で測らされた。ゲームセンターにパンチ力を測るゲーム機があるが、僕の記録が同級生に抜かれたことはない。自分で言うのもなんだが当時の僕は身体能力が飛び抜けて優秀だったのだ。それに加えて武器の知識と父から教わった処世術(いかに問題にならずに人を懲らしめられるか)があった。更に珍走団の幼馴染、僕に輪をかけた兄、そして大ボスの父。笑
渡部家は地域ではちょっと有名な存在だったと思う。

そんなわけで弓矢は僕にとっては日常になっていた。



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